チュニジア旅行記(その1・カイルアン〜スベイトラ)2023/03

<カイルアン・アグラブ貯水池>

2023年春休み、何度か申し込んだけどコロナやらでキャンセルになってしまっていたチュニジアへの旅、ちょうど良い春休み日程(9日間)のツアーを西遊旅行で発見。燃油サーチャージやら円安やらで2〜3割高くなってましたが、調べてみると、あれ?大手のツアーはもっと上がってますね料金が西遊旅行と変わりません。まだ航空券座席のまとめ買いができないからなんでしょうか?世界情勢も雲行き怪しく、またいつ行けなくなるかわかりません。行けるときに行っておこう!ということで、あたふたと金策をして、ゴー、チュニジア!。

<旅程1日目〜2日目>
<成田からドーハ経由、カタール航空でチュニスへ>
機内食すら懐かしい?3年ぶりの海外旅行、エコノミーの狭い座席で13時間、ジジイは耐えられるのか?不安でした。しかし遊びの旅になると俄然元気になる体質が幸いしてか、まったく問題なく乗り換えの地ドーハまで過ごせましたよ。カタール・ドーハでチュニス便に乗り換えです。ドーハは早朝でしたが航空機乗り換えのお客さんで混雑してました。免税店も飲食店もほぼすべて営業中で、成田空港の寂しさ(まだ開業率50%以下)とは対照的でした。

ラマダーンなのでチュニジアではホテルでもお酒が飲めないかも!という重要な?情報を入手。ドーハで買えるなら買っておこうということで探しましたが、見つかりません!ご同行の方で入手された方に聞くと、大きな免税店で仕切りの裏でこっそり?販売してるとのこと。急いで店員さんに聞いて、仕切りの裏に行ってこっそりワインを買いましたよ。(結果としては、そのワインは日本に持ち帰りました・・・)

ドーハからのチュニス便の機体は、なぜかオマーン航空の機体でした。サッカーワールドカップで不足した機体をレンタルしたんだそうです、1年契約だからまだ使ってるとのこと。チュニスへの着陸態勢に入ると、窓からイタリア、シシリー島と頭が白いエトナ火山が見えてきました。シシリー島は、チュニスからはローマより近いんですね(317Km)。

<チュニスからカイラワーン(カイルアン)へ>
<バスの車窓から、チュニス遠望。湖の上に白い点のように見えるのはフラミンゴ>
チュニス・カルタゴ国際空港に着いたらバスに乗り換えて、カイラワーンに向かいます。バスは48人乗りの観光バスです、ツアーの参加者は8名なので余裕たっぷり。このくらいの人数だと集合も移動も楽ですし、ガイドさんの説明も聞きやすい。ちなみに定員は15名(限定)でした、さすが西遊旅行。大手のツアーじゃ催行中止でしょうね。

<ザグアーンの水道橋>
カイラワーンへの途中、ローマ時代の水道橋が残るザグアーンに立ち寄りました。ハドリアヌス帝時代にザグアーンからカルタゴまで132Kmの水道橋を31年かけて建築。今でも残る水道橋の長さとしては世界一だとか。地中海を巡ると、どこでもローマ時代の水道橋とお風呂遺跡に出会います、ローマ人の風呂好き建築おたくぶりには感心しますなあ。

<カイラワーン・商店、食料品店、お肉屋さん?>
カイラワーン市街に入ったのは夕方でした。イスラム第4の聖都、北アフリカで最初に築かれたイスラム都市だそうです。夜のラマダーンの断食明け(18時30分)のために、食料の買い出しの人で賑わってました。

<カイラワーンの露店>
野菜など生鮮食料品を売る露店もたくさん並んでいて活気があります。

<LA KASBA 裏門>
オスマントルコ時代の城塞裏門、バスは商店街を抜けて要塞の駐車場に入ります。あれ〜、ホテルに行くんじゃなかったの?

<LA KASBA 正門>
ラ・カスバ ホテルでした。オスマントルコ時代のカスバ(城塞)を改造したホテルです。名前はそのまんまカスバ ホテル。ここで「カスバの女」という単語を思い出した人は前期昭和人として認定されます。

<LA KASBA 中庭>
メディナ(旧市街)の中にある五つ星ホテルなんですね。廊下や大小の中庭は昔のまま使われていて、階段は大理石、お部屋も小さな中庭に面したベランダ付でイスラム圏に来たぞ〜と思える良いホテルでした。部屋の設備、備品にも不備なく、バスタブも問題なし。ただ、隣がモスクなんで早朝に大音量アザーン(礼拝時間の呼びかけ)の朗読で起こされます。

<LA KASBA 朝食>
ホテルでの食事は、朝夕ともレストランでビュッフェでした。米国の(爺婆)団体観光客とご一緒、元気で賑やかだわ。でね、このホテル、ラマダンだけど夕食時にワインもビールも注文できましたがな!ありがたやLA KASBA 星一個追加、六つ星にします。食事は、イスラム圏らしいもので可もなく不可もなく普通でした。ハムソーセージの類は、すべて魚肉の加工品です(ブタ食えないからね)。元フランス領だけどパンも普通、オムレツはよーく焼いてくれて堅焼き(見た目チジミ)です。

<旅程3日目>
カイラワーン(カイルアン、ケロアン)市内観光。地図やガイドブックの日本語表記の地名は、フランス語、英語、アラビア語ごっちゃまぜでわけわからない、その場に応じて適当に使うことにします。

<アグラブ貯水池>
このページトップにある、チュニジア国旗の場所から見ました。紀元800年に成立した王朝アグラブ朝が作った貯水池です。えーと、ただのまるい池ですね。お土産屋のおじさんが日本語の手書きお土産メニューを張り出してました。

<シディ・サハブ・モスク>
別名・床屋のモスク。ムハンマドの忠実な友人で、専属の床屋さんだった人シディ・サハブさんの霊廟。元は7世紀に建てられたもの。ウズベキスタンではムハンマドの従兄弟の霊廟がありました、他にも各地にあるんだろうなあ関係者の霊廟。理由は定かではありませんが、お医者さんじゃないけどここでは割礼ができるんだそうです。一般的にはお医者さんでやるのが普通だとか。(ガイドさん談)

<シディ・サハブ・モスク、柱の手形>
昔の工事関係者の手形かあ?と思ったら、礼拝に来た人は手に油を塗って柱に手形をつけるんだって。

<グランドモスク>
671年に建造、その後何度も改修、3層の四角いミナレットは11世紀の建造物でイスラム圏では最古と言われてます。T字型のモスクがあって、その後のモスク建築の原型となっているそうです。
この建造物の柱の多くは、どこかで見たような気がするんですが、その理由は近隣のドゥッガやスフェイトラなどのローマ遺跡から拝借したエンタシスだからでした。その他、多くのローマ遺跡の石材を再利用しているそうです。ここだけでなくイスラム時代の建造物にはローマ遺跡のエンタシスが使われているものをいくつか見ました。ローマの建築おたくは、やっぱりすごいね〜、とここで感心する私。

<グランドモスク入り口>
街の中はゴミも無く、石畳と白い壁の家が美しい。ラマンダーンのせいか観光客目当ての出店はあまりありません。香水瓶1ドル(約130円)安いわー、と、女房殿が購入してました。(蓋の密封が悪くて、日本についたら漏れてましたけどね)

<モスク前のおもちゃの露店>
アラブ圏に来るとモスクや教会前に必ずある子供向けのおもちゃ屋さんの露店。子供達とモスクに礼拝に来ると「これ買ってー!」と子供が地面に座り込んでねだるのでしょうか?まあ、そういう姿は見たことありませんね、イスラム圏の子供達はシャイで礼儀正しいですよ。そういうことするのは、ハンバーガーの野菜を取り外して残すネズミの国のガキ(失礼、○国のしつけの悪いお子様ですね)とか、やたらと走り回り親子共々平然と割り込みをする肥満の黄色いガキ(失礼、○○○○共和国の育ちの悪いお子さんですね)とかです(目撃談多数)。

<デーツ・ナツメヤシ>
城壁で囲まれたメディナ(旧市街)の商店街をブラブラすると、特産品なのでいろんなところでデーツ(ナツメヤシの実)を売ってます。品質はピンからキリまであるそうで素人にはわかりませんね〜。お土産用にはガイドさんに紹介してもらったお店で買いました。

カイラワーンのメディナ観光を終えて、スフェイトラ遺跡までバスで移動しました。

<スフェイトラ遺跡>
<スフェイトラ遺跡を見渡せるスフェイトラ・ホテル>
スフェイトラはローマの植民都市でオリーブの一大産地でした。北アフリカでのビザンチン帝国終焉の地でもあります。遺跡はローマ〜ビザンチン時代のもので、オリーブの生産で潤っていたスフェイトラの最盛期を思い起こさせる壮大な遺構です。(広さ約50ha)

<スフェイトラホテルで昼食・メインのカムニア>
昼食は遺跡の目の前にあるスフェイトラホテルでカムニアをいただきました。牛の胃袋と野菜のトマト煮込み。レバーだよなあ、とは思ってましたが胃袋だったんですね。美味しいです。ラマダーンで町のレストランは大方お休みだから、ホテルのレストランでの昼食になったみたいです。おかげで?ここでもワイン、ビールが注文できましたがな!

<スフェイトラ遺跡・劇場>
コロナ以降このスフェイトラは、観光ルートから外されることが多く観光客が減っていて、ホテルも村も困っているとのことでした。遺跡に喜んで行くのはドイツ人と日本人だそうで(エジプトのガイドさん談)、確かに暑い地域での真っ昼間の遺跡観光は貸し切りのことが多いです。この日も貸し切りでした。
劇場の裏手には、ローマ時代にオリーブ油を積み出していたスフェィトラ川がありました。今は水は完全に枯渇していて涸れ川・ワジとなっています。6〜7世紀は小氷期と呼んで良いほどの全地球規模の気候変動があり、その時期にスフェイトラ、北アフリカのビザンチンは滅亡しています。おそらく、気候変動により国力が落ちていたところをアラブ兵に襲撃されあっけなく滅びてしまったのでしょう。

<スフェイトラ遺跡・娼婦宿の看板>
わかりやすなあ〜、ローマ人。グッドデザイン賞Gマークあげたい(最近見ないな)。しかも神殿の入口前にあるんです。この地を訪れた旅人向けに、神殿を見学して、娼婦宿に行って、お風呂に行って、劇場で観劇するパックツアーがあったんでしょう(筆者の妄想です)。

<スフェイトラ遺跡・教会群>
ローマ・ビザンチンの遺構なので、キリスト教の教会群があります。洗礼盤やモザイクが残ってました。

<スフェイトラ遺跡・Forum・公共広場、キャピトル・神殿群>
ローマがキリスト教に改宗する前は、ローマの神々を信仰していたのでその神殿があります。スフェイトラはオリーブの輸出で潤っていて財政が豊かだったので、3神ミネルバ、ジュピター、ジュノそれぞれの大きな神殿が建造され祀られていました。天文関係者にはおなじみの名前ですね、ミネルバとジュノーは小惑星、ジュピターは惑星(木星)です。

<スフェイトラ遺跡・浴槽>
大浴場、サウナ、邸宅の個人浴槽、など、ローマ遺跡と言えば、お風呂遺跡。たくさんありました。ローマ人のお風呂に対する執念みたいな物を感じますね。中でも、この浴槽の壁は彩色された海の生物で飾られていてとても美しい、確かにこんなお風呂があったら毎日ゆっくり浸かってみたいです(できれば温泉で)。

壮大な遺構で楽しめました。ただ、お金があまりないのか彩色された壁が剥き出しで天日にさらされている姿を見ると、これからの保存状況が心配になります。観光客が増えて、お金を落としてくれれば状況も良くなるのでしょう。遺跡マニアの皆様せっせっと稼いで、ぜひスフェイトラに行ってみて下さい。(でもラマダーンの時期は避けた方が良いですよ)

この日は、遺跡見学の後ガフサ経由で、砂漠のオアシス都市トズールに向かいました。

チュニジア旅行記その2に続く(たぶん)

 

2件のコメント

  1. チュニジア!羨ましいです。コロナが影響したのか政府の努力か、アルジェリアと違ってチュニジアはかなり治安も改善したと聞きました。カルタゴやローマの遺跡を見てまわりたいです。

    • tagnoueさん、チュニジアは治安良かったです、まったく平穏でした。カルタゴの遺跡を訪れたくて行きました。ローマ、フェニキア人の遺跡はもちろん良かったのですが、南部のサハラ砂漠(テントホテル泊)の風景が思いのほか印象に残りました。チュニジアは、遺跡好きにはたまらなく良いところでしたよ、お勧めいたします。(ただし、地元産ワインはお勧めできないかも。)

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