リマの海岸。2016年7月、夏休みに南米旅行に行きました。投稿してなかった場所を今さらながらですが掲載します。7月のリマは太平洋からの霧に覆われる日が多くてちょっと寒い。薄手のダウンぐらいは必要でした。
教会前の露天商。リマの旧市街は、スペインの田舎街に似てます。
治安はだいぶ良くなった、とはいえまだ人の集まるところは厳重警戒でした。でもね、現地ガイドが警備の警察官と記念写真を撮れるから撮れっていうので、おそるおそる近づいて撮りましたよ。勤務中おじゃましてすいませんでした。
郊外に出るとスラム街があります。私有地以外のところに住み着いた場合、何年か住んでいれば自分の所有地となるとのことでした。スラム街の家の壁なのに、絵のセンスがいいなあ。
ラファエル・ラルコ・エレラ博物館。 資産家ラファエル・ラルコ氏の個人博物館。インカ時代以前のモチーカ文化、チムー文化、ナスカ文化時代の土器を中心に数万点に及ぶ出土物が展示されています。侵略者のスペイン人はインカ以前に文明があったとは考えなかったので、地下遺跡などには全く感心を示さずインカ以前の遺跡はほとんど手つかずで残ったのだそうです。大きな博物館ではありませんが、個人収集物とは思えないくらい質も量も高い歴史博物館でした。
戦士の像。一つ一つの像の顔はすべて異なっています。現地ガイドさんの説明によると、これは戦いに出かける前の記念として戦士の顔を写し取った像なのだそうです。出征記念写真のようなもので、家族はこの像で戦士の無事を祈ったのでしょう。その他にも彩色土器にはたくさんの種類があってとても興味深いものでした。
この博物館は、日干しレンガのピラミッド遺跡の上に作られた豪邸を買い取って作られました。スペイン風の豪邸をそのまま利用しているので、博物館の建物自体も楽しめます。しゃれたレストランも併設されていて(美味しかった)優雅なランチもお勧めです。リマ郊外ではバスで移動中にもいまだ手つかずの日干しレンガでできた遺跡をたくさん見かけました。
リマからバスで南下しておよそ5時間。ナスカの飛行場からこの飛行機に乗ってナスカの地上絵を見に行きす。観光シーズンには、毎日何便も出ていますが、太陽が高くなる季節と時間帯は地上絵が見にくくなるので避けた方が良いでしょう。リマと同じ太平洋岸ですがここは乾燥地帯なので天候の心配はありません。リマから南下するにつれて陽光がだんだんと強くなるのがわかりました。
ナスカ地域は乾燥した砂漠地帯で、アンデスの山々を水源とする伏流水を集めたナスカ川沿いに細長く農耕地が広がっています。ナスカの地上絵が描かれたナスカ文明時代は、今から約2,000年前、紀元ごろから紀元500年頃とされ、現代と同じようにナスカ川の氾濫原で農耕が行われていたと考えられています。
現地ガイドさんの解説によれば、ナスカ文明をになった人たちは、遠くアマゾンの密林から来たのだそうです。わざわざ、なんで自然収穫物の多い密林から砂漠に来たのでしょうか?その答えは、砂漠地帯には、敵である肉食獣、毒蛇、害虫、病原菌がおらず安全、乾燥地帯の陽光とナスカ川の氾濫原の土地と水は、農耕には最適な地だったから、とのこと。その話を聞いて、エジプト文明、肥沃な三日月地帯、メソポタミア文明、などの古代文明が、なぜ乾燥地域にあったのかという長年の疑問が解けた気がしました。安全な場所でなくては文明は作れなかったのですね。
「宇宙人」の地上絵。セスナは揺れます、船酔いする人は酔い止めが必須かもしれません。ナスカ地域のすぐ北には、さらに古い3,000年前の幾何学地上絵が残るパルパの地上絵があります。
「木とオウム?」の地上絵。セスナのパイロットさんが日本語で「サル、サル」とか「クモ、クモ」と解説?してくれるので大方見て判別することができました。地上絵の大きさは、意外と小さく宇宙から肉眼で見るのは難しい?。上写真の道路や建物と停車している車と比較すると大きさが想像しやすいでしょう。ただ幾何学地上絵とされるものは、とんでもなく大きいものもあります。ガイドさんによれば、どうやって描かれたかは諸説あるが、天上の神に見えるように描かれたとするのは定説とのことでした。
ナスカの海岸でワンプレートランチ。ペルーのレストランは、どこも美味しくいただけました。私には、苦手な香菜を使った料理は少ないので満足できましたし、ワインが安くておいしいのも良かったな。
来年、2022年には安全に世界中に旅行に出かけられるようになってくれることを祈ってます。