ウズベキスタン旅行記その3、旅程4日目夜ブハラに入り翌日はブハラ市内観光、6日目はブハラからヒヴァに向かい途中キジルクム砂漠に点在するカラ遺跡を見学。7日目ヒヴァ観光。8日目ウルゲンチからタシケントに飛行機で移動してタシケント市内観光。9日目韓国インチョン経由、乗り継ぎ時間が7時間あるのでインチョン市内ミニ観光後、日本へ帰国。
<旅程5日目>
4日目の夜ブハラに入りました。
宿泊は、旧市街中心にあり名所には徒歩で行けるアジアブハラホテル。三つ星の伝統あるホテルでしたが、一部設備も伝統ものらしく、停電あり、お湯の出チョロチョロでした。ここは、某旅行会社の系列に今は入っているのでツアーで泊まれる機会はあまりないとのこと。
<チャールミナルと近所のお土産屋さん>
5日目の朝は、民家の中を歩きながら美しい4本のミナレットで有名なチャールミナルに行きます。途中販売中の看板がかかった家もありましたが価格はTELとのことで不明。5分ほどでチャールミナルにつきます。快晴の青空にはえてとても美しい!
で、すぐに目の前にあるお土産屋さん、あれ?軍服、勲章売ってる!旧ソ連ものを売るお店ではありませんか!チャーミナル見物は早々に切り上げてお店見学。共産党の党員証500円〜、勲章 1,000円〜、ソ連軍制帽1,500円〜、拳銃まである!(大丈夫かいな?)ロシアの CCCPショップより品物豊富で安いです。おもわずソ連軍制帽買いました、¥2,500なり。私のソ連カメラコレクションと一緒に並べてあげましょう。
この国がかつてはソ連邦の一部だったことを思い起こさせるお店でした。でも今は、近くの遊園地にネズミの国のおそらくパチモン(少々目つきが悪い)がいる国なのでした。
<イスマイルサマニ廟、チャシュマアイユブ、ボロハウズモスク>
イスマイルサマニ廟 907年にサーマン朝サマニ王が建立した中央アジアに現存する最古のイスラム建造物です。モンゴル軍来襲時には、ほとんどの部分が砂に埋もれていたため破壊を免れ日干しレンガと焼きレンガを使った10m四方の建物が当時のまま残っています。
チャシュマアイユブ(ヨブの泉) 建物の写真ありません、内部が水の博物館になっていて聖水が出ています。飲んじゃった人は、見事にお腹を壊して翌日苦しんでいましたから飲んではいけませんよ。
イスマイルサマニ廟、チャシュマアイユブは大きな公園の中にあって、お土産屋さんが路上に品物を置いて売ってます。ザクロの実をモチーフにしたお皿が綺麗で小さめな物を購入しました。
ボロハウズモスク ブハラのハーン専用モスクとして1718年に建立された木造のモスク。ハウズは池の意で、モスクのクルミ材の柱が池に映って美しいとのこと(池の水が濁っているので美しいと言えるかどうか・・・)
<アルク城、カラーンモスク、ミル・アラブ・メドレセ>
アルク城 紀元前から砦があった古代ブハラ発祥の地、7世紀以降、破壊、築城が繰り返されて現在の建物は18世紀に築城されたものだそうです。城の中には小さな博物館があります。
カリヤンミナレット、カラーンモスク アルク城から徒歩でも行けますが、電動カートタクシーが沢山いるのでこれを利用しました、楽ちんです。モスクには高さ46mの巨大なカリヤンミナレットがあります。モンゴルの来襲後16世紀に再建されたモスクは1万人もの人を収容できる巨大な建物で何本もの支柱に支えられた回廊がとても印象的でした。(ソ連時代は倉庫として使用されていたとか)
隣接するミル・アラブ・メドレセ、神学校もとても美しい建物でソ連時代も神学校、図書館として使用することが許されていた貴重な神学校です。
<丸屋根市場タキ・羊と牛肉のシャシリク>
旧市街、丸屋根市場タキ 宝石市場タキ・ザルガラン、帽子市場テルパクフルシャン、両替屋タキ・サラファンの3つの市場が現存していて入口はラクダが通れるように高くなっています。
羊・牛肉のシャシリク(ケバブ) お昼を市場の隣にあるレストランでいただきました。シャシリクはナンで挟んで食べると美味しいですよ〜!と、ガイドさんに言われたときにはすでにナンを食い尽くしていて、え〜!早く言ってよ〜!食い意地張っててすいません、急いでナンの追加を持ってきてもらいました。ここのお店のワインは輸入品らしくて、ウズベキスタンでは唯一美味しいワインでした。シャシリクもとても美味しくて大満足でしたよ〜。
市場の中のお土産屋さん、いろいろありますがブハラの名物は刃物だそうで、コウノトリの形のハサミがお土産としてよく売れるとのこと。革袋に入って20ドルでした。
<旅程6日目>
<キジルクム砂漠・アヤズカラ遺跡・トプラクカラ遺跡>
旅程6日目は早朝ホテルを出発してキジルクム砂漠500Kmを横断してヒヴァへ向かいました。
アヤズカラ遺跡遠望 キジルクム砂漠は乾燥した荒れ地で北東にシルダリヤ川、南西にアムダリヤ川が流れ川や点在するオアシス周辺では、灌漑農業が行われている乾燥地域です。カラというのは砦という意味で紀元前2〜3世紀ころから作られた古代ホレズムの都城遺跡ですが、アムダリヤ川の流路が変わる度に移動して街を作り直したために、かつては1000以上の遺跡があったとされます。農地等にするために破壊が進み現在は数百程度しか残っていません。
アヤズカラ遺跡のふもとユルタ(テント)レストラン お昼はユルタ(テント)のレストランでいただきました。ここは、宿泊もできるとのこと。食事はディムラマ(肉じゃが)醤油、砂糖は使わない香辛料で味付けする薄味の食事です。ウオッカがサービスされて、これが美味しい。この国のお酒はウオッカが良いですね。
トプラクカラ遺跡 よく保存されている日干しレンガで作られた都市宮殿遺跡です。1〜3世紀に栄えたクシャーナ朝時代の遺跡でここを首都とした時代もありました。ゾロアスター教を信奉していたため火を祀る神殿、城壁に囲まれた宮殿跡などが残っています。周囲は乾燥した荒れ地のように見えましたが、ここからアムダリヤ川に向かって、灌漑農業の畑が広がっています。
工場労働者の社宅 キジルクム砂漠は天然資源の宝庫で、金、天然ガス等の採掘が行われています。特に天然ガスの埋蔵量は莫大で、ガスで走る自動車も多いためガソリンスタンドと同じくらいの数のガススタンドがありました。関連する工場には、社員のためのロシア風住宅が付属していて、これらは社員が格安で購入できるとのことでした。
<皺メロン・アムダリヤ川・ヒヴァASIA ホテル>
アムダリヤ川 ダリヤは海、大河という意味なのでアム川という表記もあります。カラ遺跡からアムダリヤ川を渡ってヒヴァに向かいます。まだこのあたりでは川の流れは雄大ですが、この地域から広大な川の水を利用する灌漑農業の畑が広がり、アラル海に注ぐ前に川は干上がりかつては世界第4位の湖だったアラル海も1/5の面積となってしまっています。
メロン市場 途中市場で夕食、朝食用メロンを共同調達。市場のおじさんは気前よく試食をさせてくれました。ただ、試食用ナイフは地下水で洗ってるのでお腹弱い人は食べない方が良いかも。
ヒヴァのホテル ブハラで宿泊したホテルと同じASIAホテル、人なつこい子猫が出迎えてくれました。イチャンカラ(内城)南門のすぐ近くにあり、低層(2階建て)本館、別館があります。別館の方が部屋も広く設備も新しいようで、快適なホテルでした。写真は本館別館の間にある中庭とレストランです。
<旅程7日目 イチャンカラ>
中央アジア、西アジアの城壁に囲まれた市街地をイチャンカラと言うんだそうで、日本語に直訳すると内城です。現存するもので無傷で残るのはヒヴァのイチャンカラのみだそうでこの日は朝からイチャンカラの内部を見学しました。
アルク(城郭)、メドレセ(神学校)20校、ミナレット 6基、モスク(寺院)20、など歴史的な建造物が50以上残っているそうです。
入場券を買って、西の門から入ると青い大きなミナレット、カリタミナルが出迎えてくれます。1852年に着工したこのミナレット美しいけれど未完成品です。理由は諸説あり?だそうです。
ムハンマド・アミン・ハーン・メドレセ 中央アジア最大の神学校ですが、今はホテルになっています。
指人形のお土産(制作途中) 制作途中のものはなかなかシュールです。
イスラーム・ホジャ・ミナレット イチャンカラ最大のミナレット(46m)一番高い建物なのでこれを目印に散策しました。
ジュマモスクでの結婚式 民族衣装で記念撮影中でした。新郎は10代でしょうなあ(うらやましい)
ジュマモスク 10世紀からの古いモスクで213本の木の柱で支えられています。
民家の洗濯物 人が住んでいるので路地裏にはこういう風景もあります。
民家レストランで昼食 メインはプロフでしたが、地域によって材料、味が違って飽きずに美味しくいただけましたよ。
その他、宮殿、廟、博物館、展望台など見所満載でしたが、いつものように旅の後半は疲れてきて写真が激減、お腹の調子も少々悪化してトイレ探しに忙しくてあんまり憶えていないのでした。
<旅程8日目 ウルゲンチからブファラ経由 タシケントへ>
ウルゲンチ空港から空路タシケントに向かいました。飛行機はブファラを経由してタシケントに行くのですが、ブファラでけっこうな人が降ります。ぼーっとしているとついつい人並みについいていってしまい、降りてしまうことのないようにしましょう。私たちのツアーは、1名脱落するところでした。(私ではありませんよ〜)
<ウズベキスタンの物価>
最終日はタシケント観光でした。タシケントは大都会なのでこんなお店もあります。このお店の価格がその国の物価を知る指標としては便利ですよね。ツイスタージュニアが10,000スムとのこと、円換算で120円ですね。日本だと照り焼きツイスターが340円ですからおおよそ1/3ぐらいというところでしょうか?
<お土産は大きなスーパーへ、買い物事情>
あまり時間がなかったけれどスーパーに寄ってもらってお土産を買い込みました。この国での買い物事情は、大きなスーパーではカードが使えるところがあります。ただし使えるのはVISA、DCぐらい、しかもレジによっては現金(スム)のみです。
現地通貨スムで買い物するのが安心ですが、お金が足りないときは、カードキャッシングの端末が必ずあるのでそれで現地通貨をキャッシングすると便利です。ホテルの両替よりずっと手数料は安く済みます。その辺の事情はロシアとそっくりでした。
<国立博物館>
立派なソ連調の博物館でした。今回見られなかった仏教遺跡も見てみたいな〜と思いました。3階は現在の産業や文化を紹介するコーナー、天文台の紹介がありました。日本製(高橋製作所)の赤道儀が活躍している様子が紹介されてましたよ。
<旅程9日目>
夜の便で、韓国インチョン空港に向かいました。
インチョン空港では、成田への乗り継ぎ時間が7時間あったのでタジキスタンからの帰国組と一緒に韓国に入国してインチョンのミニツアーに出かけました。乗り継ぎ時間を有効に使えてちょっとお得な気分になれました。
無事、成田について旅は終了。これからxxxスタンの国、全制覇したくなる楽しい旅でした。
*この記事は2020年5月に書いています。コロナ新型肺炎の影響でまったく海外に行けるような状況ではなくなりました。ツアーでご一緒された皆様のご健康をお祈り申し上げます。また、丁寧にご案内いただいた西遊旅行社さんとスタッフの皆様に感謝申し上げるとともに、この状況を乗り越え再びツアーに参加できる日が一日も早く来るよう、祈念申し上げます。
関連ページ
ウズベキスタン旅行記(その1・サマルカンドへ)
ウズベキスタン旅行記(その2・サマルカンド〜シャフリサブス)