朝倉・広瀬古墳群 (群馬県前橋市)

朝倉・広瀬古墳群(群馬県前橋市)を訪問してみました。

概要 群馬県前橋市の南東部の旧利根川崖上に4世紀から7世紀に作られた154基の古墳があったと記録される古墳群です。地図中の緑色が現存古墳、赤は消滅古墳です。(前橋市教育委員会事務局文化財保護課の朝倉・広瀬古墳群パンフレットより)

*広瀬川 JR前橋大島駅で降り、広瀬川(旧利根川)に向かって進みます。かつてはこの地域は広瀬川低地帯と呼ばれる肥沃な水田が広がる地域でした。広瀬川を渡ると古墳群のある前橋台地の上に出ます。

*前橋天神山古墳 全長129mの大きさを誇った前方後円墳、前橋天神山古墳は宅地造成で削り取られ中心の粘土槨しか残っていません。民家に挟まれて入り口すらわかりにくいのですが、4世紀前半の鍵穴型墳丘で初期前方後円墳としては東国最大でした。崇神陵古墳と良く似た墳丘でヤマト王権との関連がうかがわれます。

*天神山古墳粘土槨 この古墳は消失前に本格的な調査が行われていて、長大な木棺を安置した粘土槨がありました。現在も粘土槨のみが保存されています。

かつての前橋天神山古墳 副葬品として銅鏡5枚、太刀5本、剣12本、紡錘車形石製品などが見つかっています。多くの出土物は東京国立博物館で展示されています。それにしてもこの規模の重要な古墳が保存されずに消失しているのはほんとうに惜しいことです。

*八幡山古墳 前橋天神山古墳から西に徒歩5分ほどの場所にある全長130mの前方後方墳です。こちらの古墳は完全な形で保存されています。

*八幡山古墳 造成されたのは4世紀初頭とされ前方後方墳としては東国最大、全国でも4番目の大きさを誇ります。前方後方墳は東海地方で生まれ3世紀倭国大乱ののちに前方後円墳に先行して4世紀に全国に広がります。

同じ地域にある4世紀初めの前橋天神山古墳は前方後円墳で同族の後継首長の墓と考えるのが自然でしょう、だとすると墳墓の前方後方墳から前方後円墳への変更は短い期間にスムーズに行われたと想像できます。この地域ではこの古墳以降に前方後方墳は出現しません。

*飯玉神社古墳 直径39mの円墳です。円墳の上に飯玉神社が載っています。周囲の大型古墳はほとんど消失していますがここは神社であったために残ったのでしょう。境内には小さな円墳らしきものも残っています。

*上毛古墳綜覧 昭和10年、群馬県によって県下一斉に古墳調査を行い、詳細なスケッチと共に古墳1基づつを台帳化しました。これによって近年消失してしまった古墳もその位置や形状を現在でも知ることができます。当時の群馬県には先見の明があったお役人がいらっしゃったのでしょう、現在では極めて貴重で重要な資料となっています。

*県営広瀬住宅団地 上毛古墳綜覧という貴重な資料を作ってくれた群馬県を褒めましたが、実はこの地域の古墳が少数を除いて跡形もなく消えているのは群馬県に責任があるのでした。群馬県は昭和30年代から40年代にかけて桑園や雑木林だったこの地域を大型住宅団地として開発し、県営住宅団地を次々と作りました。開発にともないあまり調査もされないまま多くの古墳は消失してしまったのでした。

*亀塚山古墳 県営団地を抜けると消失を免れた古墳がいくつか残っています。亀塚山古墳は全長60mの帆立貝形古墳で6世紀初頭の造成とされます。まったく未調査の古墳で詳しい状況は不明とのこと、団地の造成地域になかったので運良く残った古墳でしょう。

*山王金冠塚古墳 6世紀後半の前方後円墳です。大正4年に金銅製の冠、大帯、鉄製甲冑などが出土し、昭和56年に発掘調査が行われました。2段に作られた墳丘から各種の埴輪も出土しています。この古墳は墳丘が低く平らで横から見てもその形を想像するのが難しい。

6世紀後半以降は地域の大型古墳の中心地は総社古墳群へと移っていき、やがて上野国国府なども総社地域に作られこの地域は毛の国の中心地ではなくなったようです。

*出土した金冠 山の字型の立ち飾りを持つ金冠は珍しく日本では確実なのはこの一例のみです。この冠は朝鮮半島の新羅王墓、天馬塚などに埋葬された金冠にその系譜があるようです。上毛地域では6世紀以降の墳墓に朝鮮半島からの影響と思われる出土物が増えるのはこの地域を経営する豪族が交代したからでしょうか。5世紀の榛名山の噴火によって、壊滅した地域に半島からの移住者を再び入植させたのかもしれません。

*お昼 現在ではさびれた県営団地ですが、美味しい自家焙煎コーヒーの喫茶店を発見。生ハムサンドとコーヒー美味しくいただけました。

*お散歩カメラ Fujifilm X-T100です。キットレンズの標準ズームが広角でマクロで小さくてとても便利でした。

*文珠山古墳 4世紀前半の全長50mの円墳です。民有地らしく古墳の説明板すらありません。そして古墳の上には・・・・

*文珠山古墳の上には 墓地があります。墳頂部には古い墓が、裾には多数の墓が、相当昔から地域の墓地として利用してきたんでしょうね。古墳の上の神社はよく見かけますが、古墳の上の墓地はあまりないでしょうねえ。もともと墓だから問題ないか???

*阿弥陀山古墳 文珠山古墳の脇にひっそりとある直径25mの帆立貝形古墳です。文珠山に眠る王の近親の墓かもしれません。古墳もこんなふうに残っていてくれるととても嬉しいのですが。

 

 

 

コメントを残す

コメントを投稿するには、以下のいずれかでログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中